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「デザインリサイクル」

ナガオカケンメイ
1965年北海道室蘭市生まれ。愛知県立半田工業高等学校建築科卒業後、上京原宿サンアドなどのデザインワークを経て喫茶店「マイルストン」を名古屋に開業し以後4年間経営。同時に三越、東急ハンズのグラフィックデザイン等のクリエイティブ・ワークに積極的に参加。89年の朝日広告賞受賞とともに再度上京、日本デザインセンター入社。翌年、原研哉氏と日本デザインセンター原デザイン研究室設立。グラフィックデザイナーから、グラフィックプランナーへとマルチな活動へ移行すると同時にデザイン雑誌などへの連載を開始。95年日本デザインセンター退社、フリーランスとして数々のマルチな活動を経て97年、ドローイングアンドマニュアルを設立。同年より毎年、動くグラフィックデザインの展覧会「モーショングラフィックス展」を企画プロデュース。2000年11月、これまでのデザインワークの集大成としてデザインリサイクルストア「D&DEPARTMENT PROJECT」を開始。2003年5月、世界的に活躍する作り手達の声を収めたCDレーベル「VISION'D VOICE」を立ち上げ、現在に至る。
Link: http://www.d-a-m.co.jp/depart/
http://www.drawingandmanual.com/top.html
contact: depart@drawingandmanual.com
2003年10月8日 D&DEPARTMENTにて
インタビュアー:泥谷英明(blue studio)
撮影:武井良介

「でも挫折したんですね。」

BS:ナガオカさんのキャリアは、名古屋の喫茶店から始まったんでしょうか?

KN:いえ。その前に高校出てから東京でデザイナーの見習いのようなことをやっていたんですよ。4年間ほどいろんなプロダクションを回ってね。でも挫折したんですね、それで名古屋に戻ったんですよ。実は。

BS:挫折したんですか、、、それってどう言う、、、?

KN:コミュニケーションがヘタだったんですよ。プレゼンテーションも。本当はデザイナーってやっぱりコミュニケーションがうまくないといけないと思うけど、正直僕は人と喋ることが出来なかったんです。それで、接客業でもやってみて、嫌でも人と喋らなきゃいけないような状況に自分を置いてみようってしたんですよ。でも、ホールはやらせてもらえなくて、ずーっと厨房(笑)。働いていたのは120席もあるようなかなり大きな喫茶店で、厨房はひとりで切り盛りしてたから、「全体を見る」「仕事の段取り・システムを把握する」って言う立場にありましたね。カウンターが30席もあって、30人の団体が一斉にオムライス頼むんですよ。「オムライス30コ!」って。こっちも意地になってどうやったら全部一緒に出せるか、、、なんてことやる訳ですよ(笑)。

BS:ナガオカさん、ご自分でお店やってたんじゃなかったでしたっけ?

KN:そうです。はじめはその大きい喫茶店で働いてたんだけど、そこにいつも来る常連のお客さんが持ってた別の場所でお店を始めたんですよ。はじめ働いてたその喫茶店ではスタッフのキャラクターと組織のシステム、この両輪でお店が成り立ってたんだけれど、新しく自分で始める店ではいきなりキャラクターだけでやっていかなくてはダメっていう状況になったじゃないですか。それで、その店は潰しちゃったんです。ただ、いろんな人が集まってきましたよ。タクシーの運転手がシゴト終わってから寄っていったり、近所のお姉ちゃんが来たり。。。

BS:それからまた東京に出てこられる訳ですが。。。

KN:そうです。そうこうして飲食業をやめた後、「デザイン事務所でも探すか」っていうことで、名古屋の事務所を幾つか回っていたんですよ。そんな時に、以前出したコンペでいい結果が出たって知らせが来たんですよ。朝日広告賞から「受賞したから授賞式に出てこい」って。で、「どうせ行くんだったらいろんな人に会おう。」ということである友人のつながりで、日本デザインセンターに行かせてもらったんですよ。そこでいきなり原さんが「お前、時間あるか?」って言うんで、「あります」て感じで。。。

BS:その後、「モーショングラフィックス展」の企画から菱川さんとの出合いにつながるわけですけれど、、、
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