「すぐにでも仕事をやりたかった」
BS:六本木の現場はお疲れ様でした。少しだけ覗かせていただきましたが、あんなに人がいるとは思ってもなかったので、とにかくビックリしました。
YO:そうですね、あの時だけでも全部で100人くらいはいたんじゃないですか。
BS:いやぁ、ひょっとするともっといたんじゃないですか?・・・ところで小澤さん、美術館で小澤さんのようなお仕事をするには普通に大工さんの仕事やっていたんじゃ出来ないと思うんですけれど。。。
YO:うちのおやじは宮大工を目指していたんで、僕も大工を意識していました。中学卒業した時に谷中町内の親方のところに行って「大工になりたいから働かせて欲しい」って頼んだら入れてくれることになったんですけど、その後で親方が僕のおふくろのところにやって来て、「やっぱり高校くらい行かせた方がいいんじゃないか」ってことになっちゃって、僕自身はもうすぐにでも仕事をやりたかったんだけれど、結局かなわずに学校に行きました。
BS:ということは、高校を卒業されてから直ぐに大工さんの道に入ったんですか?
YO:いいえ。高校では建築の勉強をしましたけれど、その後にグラフィックデザインの学校にも行きました。・・・ところが、学校行きながらも、僕はずっと大工になりたかったんですよ。
BS:その後、美術館に出入りされる要になったわけですが、、、非常に特殊な職業でらっしゃいますよね。小澤さんがその世界に入るキッカケはなんだったでしょうか?
YO:例えば、西武美術館の展示のための美術梱包、施工の現場があったんですよ。ちょうど電動ドライバー(通称「電ドラ」)が世の中に出回り始めた頃で・・・ガガガッて、すごく早くて・・・あれはすっごい便利なんですよね。みんなその電ドラを使ってましたけれど、僕はケツのポケットに電動でなくて手で動かすドライバーを忍ばせて出番に備えていたんですよ。もちろん、外国から来たアーティストやキュレーターはそういう電ドラが嫌いなんですよ。作品が納められている木のクレートを開けるのに、「ガガガッ」ではダメだし、「美術品はそういうものではないだろう」ってことを僕は分かってましたから、手でドライバーを使って「こうやって開けるんですよね。」ってやってみせたんです。それからでしょうね。「次の展示でも入ってくれ」って、少しずつ言ってもらうようになったのは。・・・とにかく、こういう現場の中にどんどん入っていきたかったんですよ・・・どうしても。
BS:1本のドライバー。。。今のお仕事につくために、そんなエピソードがあったんですね。
YO:念願かなって美術館の中に入れてもらい展示作業を任されるようになってくると、今度は「作家のことを知り、そして作品のことを知りたい」と強く思うようになりました。。作家と話し合うことを重要だと考えるようになってきたんですよ。 |

「六本木クロッシング」を準備中のスタッフの方々

「クサマトリックス」を準備中のスペースで |