<IMG SRC="../menu.gif" WIDTH=765 HEIGHT=97 usemap="#menu" BORDER=0>




" ラティスなスタイル"

「Lattice Aoyama」の入居が始まりました。今回は、入居者の方2組にお話を伺いましたので、インタビューを通してこの建物に特有の空気感を感じ取っていただけるのではないでしょうか。
2004年5月26日 Lattice Aoyama にて
インタビュアー:泥谷英明(blue studio)
撮影:武井良介

伊達恵子/ダテケイコ
株式会社光凛プレンヌ・ビュ代表取締役


たくさんの出会いと一枚の絵

ブルースタジオ(BS):伊達さん、Latticeにご入居が決まった時「青山にお帰り!」って言われたとのことでしたが、どういうことだったんでしょうか?

伊達恵子(KD):はじめに独立したのが青山でして、永くこの街でやらせていただいてきました。8年前に銀座にもギャラリーを出しましたが、、、去年入院したこともありまして西麻布の事務所だけにして、「しばらくは自分の時間を大切にしよう」という風に考えておりました。ところが半年もしないうちに「すごくいいスペースができるらしいよ」と教えていただきまして。。。それでLattice青山を知って、見学をして申し込み、今日に至っております。

BS:その時、どなたにご紹介いただいたんですか?・・・お礼言わないと。。。

KD:息子ですよ。・・・こちらに出会ったのも縁ですよね。

BS:息子さんだったんですか。ありがとうございます。とても嬉しいです。

KD:ここのスペースを拝見したとき、とても透明感のある感覚で、程よい緊張感をもって凛とした気持ちになれるようにと思いました。またそうした空間をいろんな方々と分かち合いたいとも思いましたのでこちらに引っ越して来たんですよ。・・・展示の場にもしたいと思っております。

BS:素晴らしいコンセプトですね。ところで、伊達さんがギャラリーはじめられて何年経つのですか?

KD:そうですね、この仕事するようになってちょうど25年経ちます。いろんな方との出合いがございまして、私だけの力ではありません。ここまでやって来れたのは。

BS:応援して下さる方との出合いということですね。

KD:それと作品や作家との出会いです。独立後夢中にやってきた10年ほどの間で、偶然な出合いが多かったように思いますが、今振り返りますと、全て出会うべくして出会ったように思えてなりません。点だった出会いのひとつひとつが一本の線となって繋がっていて、既に出来ていた道によって、私はただ導かれてきた気がします。・・・そう思ったら恐くなくなりまして、「これから先どこに行ったらいいかわからなくても、見えない道が用意されてるはず」という風に考えられるようになりました。

BS:出会いによってたくましくなったということですね(笑)。それは、伊達さんのお人柄に惹かれてみんな集まって来るんですよ。きっと。

KD:ありがとうございます(笑)。・・・それから、絵とのショッキングな出合いがあります。フェルメール「青いターバンの少女」。この小さな絵とは別の場所で2回出会ったんですが、2回とも涙がひたすら溢れてきて、止まらなかったんです。1回目は、私の周りにもいろいろな出来事が起こった頃で、不安やいろんな思いがクロスオーバーしていたという事もあったと思いますけれど、2回目もすごく涙がでてきたの、、、そのころは全然引きずってなかったのに。。。「なぜ、涙が溢れて止まらないのかな」って不思議になって、それで作家のことや絵のことをいろいろ調べているうちに、「余命いくばくもない自分の娘を描いた」のかもしれないということを知りまして、とてもショックだったんです。

BS:1枚の古い小さな絵からの大きなショック。

KD:そうです。何世紀経ってもこの小さな絵は何かとても大きな力を持っているんです。こういう力をなんて呼ぶのか、、、「魂」という言葉かも知れませんが、、、こういうものは、作家の肉体がなくなった後も脈々と残ります。この絵は私がこの仕事を続けられる原動力になっているんです。







フェルメール「青いターバンの少女」
1 ・234TOP